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大和・武蔵の射撃訓練

9月に入ると、内南洋を固めるための港外対潜掃討を兼ねた出動訓練に明け暮れ、18日から25日まで金剛・榛名の直衛でブラウンを往復した以外は、連日港外の哨戒でトラックに出入港を繰り返していた。
10月7日、風早かざはやを救援して対潜掃討の後、10日から戦技訓練に入ったが、取り分け10月14日、大和・武蔵の射撃訓練に曳的艦を務めた事が印象に残っている。
後で聞いた話では、駆逐隊が常に最前線で戦闘を続けている中で、両艦は何時もトラックに錨を下ろしたままで、  ただ、出撃する艦艇の出入港に対し、「OOの武運を祈る」とか『OOの戦果を祝す』の旗旒信号を揚げ降ろしするだけで、どの作戦にも参加しないため、兵員たちの間では何時の間にか大和ホテル・武蔵御殿と呼ばれるようになっていたという。
今回の射撃訓練は、この汚名を返上するための行動であったとも言われている。
ここで両艦の主砲についてあらましを記すと、
    装備。
 45センチ口径   3連装・3基・9門
 1門の砲身重量、  165トン。
 3連装1砲塔の重量、   2,510トン。
    性能。
 最大射撃距離、   41,400メートル。
 弾丸初速、   780メートル/秒。
 弾丸重量、   1,460キロ。
 装薬、   360キロ。
 射撃間隔、   40秒。
海風の総トン数が1,365トンであった事から比べてもその巨大さが想像できる。
海風は、9時、標的を曳航して出港、大和と武蔵は環礁内で速力を12〜18ノットの調節速度。
標的は木材の円材で組み立てた長さ100メートル、幅10メートル余りの骨組みだけの物で、曳航索は800メートル、標的艦の速力12ノットであった。
艦橋の最上段にある大和・武蔵の15メートル測距儀が水平線すれすれに見える位だから、射程距離は恐らく40,000メートル位だろう。
弾着観測機が2機上空を旋回し始めると、13時、射撃開始、20センチ望遠鏡を覗いていると、両艦からどす黒い煙がパッと上がった。
「大和発砲しました・続いて武蔵も発砲しました」、報告して1分近く経つとキューンと言う異様な金きり音が聞こえた瞬間に初弾が標的の後方5〜600メートル近辺に着弾した。
両艦の弾着を識別する赤、青の水柱が数10メートルの飛沫しぶきを上げた。
初弾は思ったより遠くに着弾したように思えたが、これは観測機に弾着を修正させるためのもので、2弾目からは艦を揺るがすような轟音と共に標的の周辺100メートル付近に確実に着弾した。
これも、弾丸が標的を破損しないようにその周辺に的を合わせて射撃しているためだという。
合間、合間に巡群が15,000メートル、駆逐艦群が5000メートル付近からの射撃も行ったが、威力も正確さも物の比ではなかった。
大和・武蔵の場合、射程距離40,000メートルと言えば、ほぼ東京〜大船間に当たり、発砲音が到達するまで3分以上も掛かる距離だが、弾着観測機を使えば、目標から10メートルとは狂わないと言うから驚くほかはない。
この後、観測機抜きの測距儀による射撃も行ったがこれもドンピシャリだった。
瞬きをするような速さで飛んで来る弾道を確認する事も出来たが全てが「凄い」の一語に尽きる。
15時30分終了して帰途についたがこの時ほど大和・武蔵を頼もしく感じた事はない。
恰度1年前の「ガ島挺身攻撃隊」に若しこの両艦が出撃していたとしたら戦局も又一変していたかもしれない。
「宝の持ち腐れ」を感じたのは私たち下っ端の一兵卒だけでは無かったと思う。

  • 軽巡・・・2等巡洋艦 : 川内、神通、那珂、北上、等主として川の名前、
  • 重巡・・・1等巡洋艦 : 愛宕・高尾・那智等山の名前、
  • ちなみに・・・戦艦 : 大和、武蔵、陸奥、長門、等江戸時代の国の名前。
    空母 : 飛龍、蒼龍、翔鶴、瑞鶴、隼鷹、等架空想像動物の名前。
    1等駆逐艦 : 海風、如月、雷、満潮、等天象気象の名前。
    2等駆逐艦 : 柿、栂、樫、樅等植物の名前。
    水雷艇 : 真鶴、初雁、鴎、千鳥、等鳥の名前。
    1等潜水艦 : イ号。2等潜水艦・ロ号。


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