母港に凱旋
4月21日、パナイ島の周辺で夫々の任務に就いていた江風・山風もイロイロに集結して直ちに出航することになった。
船団護衛も作戦命令も無くて単隊の行動となると、「ひょっとして内地に帰還するのでは」と、古参兵たちが一人合点ではしゃいでいるところへ、総員集合の喇叭が鳴り響き、「手空き総員前甲板」の伝令が聞こえてきた。
「ソレ来た」、それ見たか、と言わんばかりの得意顔で前甲板に駆け寄る古参兵の後に続いてみると、
なんと予想はピッタリ的中、当直将校、林大尉の第一声は「長い間の作戦行動ご苦労であった、只今から母港佐世保に凱旋する」と言う嬉しい言葉だった。
兵員たちの沸き起こる万歳と拍手が治まるのを待って当直将校は後を続けた。
この際伝えて置く、
我々に大和魂があるように奴等にはメリケン魂があると思われる。
母艦から陸上攻撃機を発進させることは至難の技と想うがこれを敢行した敵も天晴れと思う。
帰港の航海中は特に気を緩めないで対空・対潜の見張りを怠らないように、とのことだった。
兵員たちはコソコソ話をしながら不審げに聞いていたが心は既に佐世保の空にあるようだった。
乗艦して初めて体験する編隊航行は1番艦海風、続いて江風・山風の1列単縦陣、進路0度、速力21ノット
5月1日、海風と山風は毎夜夢にまで見た懐かしい母港のブイに繋留した。
隣りのブイには山風、岸壁には修理のため一足先に帰港した涼風も横付けしており、途中から別行動の江風も1日置いて入港した。
暫くぶりの24駆逐隊勢揃いで、平時なら文句なしの
そんな中でも外泊入湯上陸を許される古参兵たちはご機嫌で、毎朝帰艦する毎に面会に訪れた奥様ののろけ話やチョンガーたちの遊女話に花を咲かせていた。
これに引き換え外泊の許されないわれわれ三等兵には何とも味気の無い母港だった。
唯一つ嬉しかったのは故郷から兄が面会にきてくれたことで、玉屋デパートの食堂でビフテキを腹一杯食べた満足感は格別のものだった。
僅か20日足らずの滞在だったが、山風にとってはこれが最後の母港となったのである。
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