第四海軍病院
遭難者たちはこの後も2時間以上漂流していたように記憶している。
生存者は救助に来た哨戒艇とタッグボートに分乗して、全員夏島の支庁桟橋に上陸し、重傷者から順次貨物自動車に乗せて第四海軍病院に収容されたが終った頃にはもう日が傾いていた。
病院では、その日の内に重傷者(内臓破裂)の開腹手術が行なわれ、翌日になったら、「血便をしている者は全員申し出るように」と言う触れが回ってきた。
ヤマが看護婦から聞いた情報によると「血便者は全員切腹(開腹手術)を申し付ける」と言うのである。
2人ともかなりの血便をしていたが、相談の上隠し通す事にして開腹手術だけは避けることにした。
何とか手術を避けてホッとしていると、今度は「健在者からは輸血用の採血をするから診察室に集まるように」
と言う指令が来た。
それでも切腹よりはましだと思い、元気を装って診察室に行ってみると、いきなりベッドに寝かされて否応なしに一人当たり620ccの血液を抜き取られてしまった。
採血の処置がおわった後、血液の代償として栄養補給のため卵1個とブドウ1房を配給されたが、血便をしている上に限界ぎりぎりの血液を抜き採られたのだからこんなことで補える筈がない。
体がだるくて仕方がないが、健康体を自認した以上そんな事は言い訳にはならない。
その上、健在者には夜になると術後死亡者の通夜を兼ねた遺体護衛の当直が待っているのである。
病院は小高い丘の上に建っており、そこから200メートル程の曲がりくねった坂道を下った所にある霊安所に行くわけだが、これが又実に大変な勤務で、開腹した遺体には内臓にガスが溜まっているらしく、口からブクブク泡をふき出してくる。
これを2〜30分置きに拭き取ってやることが主な仕事だが室の中は蒸し暑い上に異様な臭いが充満している。
時々軍医と従軍看護婦が回ってくるので、外で涼んでいる訳にもいかないし、しかも1人きりだから余りいい気持ちもしない。
まぁこの2時間の長い事長い事、昼間は遺体の
術後死亡者がピークに達した2月4日、昼食の真っ最中にトラック諸島全域に空襲警報のサイレンが鳴り響いた。
従軍看護婦や看護兵たちに聞いた話では、今までもこんな事は何回かあったが未だ敵機がこの島に来襲した事は一度もないと言う。
今日もそんな事だろうとたかを
弾幕の広がる空を見上げると、遥か8,000メートル位の上空をコンソリーディデッドB24が1機、銀色の翼を輝かせて悠々と飛んでいる。
間を置かず竹島基地からゼロ戦が2〜3機飛び立って行ったが、当時のゼロ戦では8,000メートルもの高度では戦闘する事は殆ど不可能な事が判り切っていた。
B24は偵察が目的らしく、この事を知ってか悠悠と上空を旋回して南の空に消えて行った。
始めて基地の上空に敵機侵入を目撃して面食らったのは在泊中の聯合艦隊で、今までの戦闘体験から遠からず機動部隊の接近を感じとったのである。
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