最後の任務
28日、海風は雲鷹救援警戒の任を解かれ、10時、3113船団を護衛してトラックに回航することになった。
確か、2〜3、000トン級の貨物船4隻だったと記憶しているが、この船団たるやまた、超オンボロ船団で速力が7ノットしか出ない。
海風のほかに特設駆潜艇(木造)2隻が護衛に付いたが、これらも全面的に信頼できる程のものではなく、海風は、常に17〜18ノットで船団の回りを廻って囲むように航行しながら護衛を続け、信号科では常に2直配備で敵潜の警戒と船団の連絡に当たっていた。
艦橋での横浜回航の噂は未だ続いており、ヤマも私も当直交代の都度、信号倉庫を覗いてバナナの熟れ具合を見るのが何よりの楽しみだった。
出港以来、何事もなく順調に航海を続けていたが、31日、14時20分頃、エンダービー灯台(トラックの西方180マイル)の東方海面で、水中測的室から、「潜水艦らしき物体」を探知したとの報告が伝声管から伝わってきた。
艦長は直ちに「配置に着け」を命じて、深度30・60・90メートルに三発の爆雷を投射し、航海日誌には「敵潜水艦探知、制圧」と記したが、真実は疑わしいもので、水測科の兵士の中にも「あれは
明けて2月1日、8時30分頃、もうトラックの島々が見え始めた頃、今度は「
この付近は敵の潜水艦がうようよしている海面だけに、艦内は緊張に包まれた。
艦長は「総員配置に就け」を命ずると共に速力を第2戦速に上げ、ここでは、入念に爆雷を投射して航海日誌には「推進機音探知、脅威投射」と記した。
間もなく警戒配備も2直にかえって、当直準備のため居住区に降り始めた途端に、今度は、「右雷跡・・・」
けたたましい叫び声に吃驚して艦橋に引き返して見ると、なんと3メートル程もある魚雷そっくりの大鮫が2頭、右舷側をうろつき回っている。
多分、先刻の爆雷投射を恐れた鮫が艦がいるのもかまわずに逃げ惑っていたのであろうが、兵員たちも又鮫以上に神経質になっていた事も否定できない。
「雷跡は鮫の誤り」
決まり悪そうな見張り員の追報告でこの騒ぎは落着したが、この馬鹿化た鮫騒動が3時間後には大きな災いにも関わる事になったのである。
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