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実兄との邂逅

翌日、居住区の排水作業をしていると、八海丸の反対側の舷に27駆逐艦の白露しらつゆが横付けしてきた。
この駆逐隊は佐世保鎮守府管轄(21〜31駆逐隊が佐鎮)で、夫々に顔見知りの戦友が乗艦している者も多いらしく、互いに行来して健在を確かめ合っていた。
私達と同期の信号兵は白露には乗艦していなかったが、水雷科同郷の西兵長から「オイお前の兄貴が今夜逢いに来るぞ」と言われて吃驚した。
  ※ 駆逐艦『白露』の写真へ
私の兄は昭和15年の1月に入団した徴募兵で、西兵長とは海兵団時代に同分隊だったとの事で、30駆逐隊の弥生に乗艦した後、水雷学校を卒業して白露に乗艦したと言う事だった。
その夜、3人は遥か赤道を越えた異郷の地で奇遇を喜び合いながらお互いの近況を語り明かした。
驚いた事に、白露はその翌日第2駆逐隊の春雨と共に、海風と全く同じ任務でブナに出撃すると言うのである。
白露の艦長がこの作戦のため海風に現地の状況を聞くためにこの艦に横付けしたらしく、兄も西兵長に同じ水雷科としての役割について事細かく聞いていた。
兄は既に覚悟を決めているらしく、翌日出撃の前に貴重品と毛髪を入れた封筒を私のところに持ってきた。
中には遺書も入れてあるらしく、「戦死が確認されたらこのままお袋さんの所へ送ってくれ」と言って逃げるように白露に乗り移った。
その日、白露と春雨が出撃して行ったのはもう日没も間近い頃だったと記憶している。
出撃した明くる日の昼頃、電信室の同年兵松本上水が「オイ白露がやられているぞ」とさけびながら駆け上がって来ると「当直中だから後で来る」と、言ってメモを置いて又駆け下りて行った。
メモを見ると『ワレ敵小型機二十数機ト交戦中』と書いた白露発信の傍受ぼうじゅメモだった。
敵機との遭遇は予期していたことだが、昼日中ひるひなか小型機二十数機の襲撃とあっては苦戦はまぬがれまい。
それにしても未だ味方制空権の洋上にいる筈で、戦闘機が護衛についていればこんな事にはならないだろうに、当時のラバウル基地は、恐らくガ島の作戦援護で手一杯だったのであろう。
半時もたないうちに届いた第2報の傍受電波は、
『ワレ敵機ヲ撃退スルモ白露ガ前部ニ被弾シ大破、コレヨリ護衛シテ反転ラバウルニ向カウ』という春雨発信のものだった。
全てが傍受信のため詳しい被害状況は判らないが、低速ながら自力航行出来ることだけは推測できた。
1日置いて朝方、白露は春雨に護衛されて入港してきたが速力は10ノットも出ていないようだった。
水平線上に見えてきた白露に20センチ望遠鏡を向けて見ると、相当酷くやられたらしく1番砲塔付近から前は吹っ飛ばされて艦首は無くなっている。
1,000メートル位に近付いたところで横付け中に顔見知りになった1期後輩の信号兵に、
「水雷科ノ田辺兵長ハ健在ナリヤ」
と私信の手旗で聞いてみると、
「極メテ健在ナリ安心アリタシ」と返信してきたので先ずは胸をなで下ろした。
白露は入港するとそのまま八海丸の右舷に横付けしたがよくも浮いていると思われる程の損傷で、海風と比べても又一段と酷いものだった。
前甲板は見る影も無く、喫水線きっすいせんまで浸水した前部兵員室には防暑服が裂ける程膨らんだ遺体が折り重なるようにして浮かんでいる。
作業員が外鈑がいはんけ目から遺体を順次外に出しながらかぎのついた竹竿で並べ直しているが、何とも言えない異臭が鼻をつく。
うしろから「どうにか死なずに帰ってきたよ」と肩を叩く兄の顔も心なしか急にやつれたように思われた。
白露は幸い機関室の被害は軽かったので、この後簡単な応急修理をした後、自力でトラック基地に回航して修理することになったと聞いている。
海風の修理が翌年の2月末に完了したのに比べて、白露の場合は7月半ばまで要した事からみても相当こっ酷くやられた事が想像できる。
思いもらず、遥か南十字星の輝く異郷の地で半月余りに亘って語り合う事が出来た私達兄弟は、まさに「事実は小説より奇なり」とも言える奇遇であった。
毎夜、巡検後に行われる「整列」も上水に進級してからは私的制裁が軽くなった上に、この時間になると、西兵長の誘いで兄に面会に行くので、古参兵の嫌なお説教を聴かずに済むのも嬉しかった。
何時の日か記憶に乏しいが兄と共にラバウルの街に上陸したこともあった。
僅か2時間足らずの保健上陸だったが、土産物屋のような店先のベンチで涼みながら話し合っていると、優しい現地人らしい小父さんがコーヒーを馳走してくれたことが嬉しく印象に残っている。
この間に初の大詔奉戴日たいしょうほうたいび(開戦記念日)もこの地で迎えたが、恰度この日ブナ(バサブア地区)の玉砕が伝えられ、あの老兵曹の姿を思い浮かべながら一年前の華やかな大本営発表とは様替わりの戦況に幻滅の悲哀を感じずにはいられなかった。


著者(左)と 実兄:故、田邊一旗氏(右)
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