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顧みて

ミッドウェー海戦で破れた時も、アッツ島が玉砕した時も何時かは必ず挽回することを信じていた。
ガダルカナル島を撤退しても、ニューギニアが壊滅しても、24駆逐隊が解体になっても未だ負けているとは思わなかった。
大和・武蔵が沈んでも、沖縄本島が玉砕しても、なお最後の神風を期待していた。
8月15日、ポツダム宣言受諾の玉音放送はこれら神州不滅の神話をことごとく打ち消し、国民は一夜にして悲嘆のドン底に陥ってしまった。
一方、最後の最後まで勝つことを信じさせ、国民を欺き通して来た軍閥主導の翼賛政治は崩壊し、財閥は解体され、戦争挑発の指導者はことごとくその犯罪を裁かれる身となった。
つい昨日まで、『打倒アングロサクソン・大東亜共栄圏の確立』を訴え、嘘八百の戦果を報道し続けたジャーナリストたちは一変してマッカーサーの信奉者となり、戦争を賛美するが如く忠勇美談を書きまくった文人や、軍歌によって戦時色を煽り立てた作詞・作曲家までが、皆、自らも戦争犠牲者である如くにそしりの矛先を軍閥ぐんばつに向けて来た。
戦闘の最中さなかでは、隣の戦友がたおれても、僚艦が沈んでも「これが戦争だ」と割り切っていた。
敗戦直後の混乱期には『死ぬも地獄、生きるも地獄』の毎日で、過去を振り返る余裕は全く無かった。
戦後46年、大和民族の叡智は世界GNPの16パーセントを支えるほどの経済大国を築きあげた。
「大東亜戦争」一体あの戦争は何だったのだろう?
戦後40年の歴史はこの答えを如実に示してくれた。
『あの日あの時散って行ったあの友、あの日愛するわが子を、わが夫を失った遺族たち』これらこそが真の犠牲者であった事を・・・
「若しあの戦争に勝っていたら・・・若しあの戦争が無かったら・・・」このいずれの場合でも現在のような自由と繁栄があったであろうか? 
多くの有識者たちは恐らく「ノー」と答えるであろう。
この自由と繁栄の礎となって散華した若き戦士たちの英霊に深甚なる哀悼の念を捧げ、共に戦った戦史を振り返りながら、その功績を偲びつつ心から冥福を祈るものである。

  • この手記は防衛庁、防衛研究所に保存の第3戦隊及び第24駆逐隊の戦記と虚ろな筆者の記憶に基づいて記述した実戦記録である。
  • 筆者 田邉一人 大分県生まれ、昭和16年5月1日佐世保海兵団に入団、海軍航海学校卒業後第24駆逐隊、第5輸送隊、第4監視艇隊に勤務。


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