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行方不明の機関兵

海風はその後も八海丸の近くに投錨して応急修理に当たっていたがこの間に奇怪な事件が起った。
名前に記憶はないが、機関科の一等兵(17年の志願兵だったと思う)がある日突然行方不明になったのである。
その翌日から艦内は大騒ぎとなり、艦長はくまなく艦内の探索を命じ、直ぐ近くの八海丸にも捜索を依頼し、更に8根司令部を通じて陸上部隊にも捜査を要請したようだったが全く手掛かりは無かった。
八方手を尽くしているうち、彼の同僚たちの話から彼は金槌かなづち(泳げない)と言う事が判り、「夜中にあやまって海に落ちたのではないか」と言う事から、カッターを使って大掛かりな海中捜査を行ったがこれも空振りにおわった。
艦長はやむなく「戦時行方不明者」としてその時効を待つことにしたらしかったが、艦内では2〜3人集まるとこの話で持ち切りになり、逃亡説からスパイ説まで発展して行った。
こんな日が1週間も続いたある日、又々不思議な出来事が起こった。
日没30分前頃だったと思うが、私達信号員が後甲板で喇叭の音調べをしながら軍艦旗降納の準備をしていると、5〜6人の土民が乗った大型のカヌーが近付いてきた。
覗いて見るとカヌーの中には見事に実った椰子の実をいっぱい積んでいる。
当時のラバウルでは日本軍に荒らされて椰子の実も大きなものは少なかったので、何処から持ってきたのかと思われる程立派なものだった。
首領らしい年増としまの大男がこちらを指差しながら海風の右舷に寄せて来た。
麻生兵長が財布を見せながら手まねを交えて「その椰子の実を売ってくれ」と言うと、大男は首を振って、銭は要らないが、持っている喇叭を欲しいと思わせるような上手なゼスチャアをする。
「困ったことを言う奴等だなぁ」麻生兵長は苦笑しながら、今度は、煙草やキャラメル等を見せながら交換を迫ったが、大男は喇叭にこだわって、いっこうに応じようとしない。
身振り手振りでやり取りしているうちにやがて日没の時間が迫ってきた。
こうなるとこんな事にかかわってはいられない、信号員は喇叭を持って何時ものように後甲板に整列した。
日没10秒前・・・の号令で、「トントト・タンタテチーン」気を付け・・・の喇叭が鳴り響くと、乗組員は後檣こうしょうの軍艦旗に注目して一斉に直立不動の姿勢をとる。
続いて時間・・・「ドーン・トーン・タンタンテーン」君が代の吹奏裡に先任衛兵伍長の手捌(てさば)き宜しく、厳粛に軍艦旗降納の儀式が行われた。
微妙な顔をしてこの様子を見ていた土民たちは兵員が解散した後も手を叩いていたが、ますます喇叭が欲しくなったらしく、今度は椰子の実を全部置いて帰るから喇叭を一つくれと言っているらしい。
身振り手まねにしびれをきらした麻生兵長が「バカヤローこれは天皇陛下から戴いたものだ、そんな物と換えられるか」:と呟きながら引き上げようとすると、大男が大きな声で懸命に呼び止める。
手まねをしながら大きな声で何か訴えているようだがさっぱり判らない。
それにしても、余りにも真剣な有様に皆も又立ち止まってゼスチャアの解明を始めた。
しかし最終的に喇叭が欲しいことだけはよく判るが、交換条件が全く判らない。
あたりはだんだん薄暗くなってきた、麻生兵長が「こんな奴等に何時までも関わり合ってはいられない、よしよし判った判った」とうなずいて、キャラメルと煙草を2〜3個カヌーに投げ込んで立ち去ろうとすると、大男はニコニコしながら椰子の実を全部甲板に放り上げて、手を振りながら嬉しそうに帰って行った。
「あの黒ん坊よっぽど喇叭が欲しかったらしいなぁ」、麻生兵長は自慢そうに呟きながら付近にいる兵士たちにも椰子の実を配り、信号員には特別上等の物を全員1個ずつ与えて取引は首尾よく解決したと思っていた。
ところが、この事が彼等と「瓢箪から駒」のような約束をした事になっていたのである。
明くる日の恰度同じ頃、後甲板で何時ものように喇叭の吹き慣らしをしていると、又々昨日の土民たちを乗せたカヌーがこちらに向かって来る。
驚いた事に今度は「シロジニアカク」と誰かが片言で歌っているのが聞こえる。
カヌーには椰子の実の他にパパイヤやバナナも沢山積んで、昨日の大男がその果物と、1番後ろに乗っている男を交互に指差しては、愛嬌を振りまきながら手を振っている。
カヌーが船縁ふなべりに近付いてきて吃驚した。
なんと一番後ろに乗っているのは、あの行方不明になった機関兵ではないか、作業をしながら後甲板でこの様子を見ていた他の兵員たちも大勢集まって来た。
折しも日没時間になり、何ごとにも優先して先ず軍艦旗降納の儀式が行われたが、解散と同時に艦内は大騒ぎになった。
艦長や当直将校も駆け付けて来て成り行きを見守っていたが土民たちには艦長も司令も関係ないのである。
彼等は約束をした麻生兵長と取り引きをする積もりでいるらしい。
先刻「シロジニアカク」を歌っていた土民が片言の日本語で、ゼスチュアを交えながら喋り始めた。
判断してまとめると、どうやら夕べ麻生兵長が「よしよし判った、判った」と言ってうなずいた事で、彼等は、自分たちの要求が通って約束が成立したものと信じているらしかった。
チンプンカンでこちらには一向に通じなかったが彼等が約束した要求と言うのは、俺たちの村に、このふねの兵隊が1人迷い込んで来た、彼は艦に帰りたいが、帰ると罰せられると言っている。
夕べ椰子の実を持って来た時に、兵隊を罰しないなら明日の今頃必ず連れてくるからその見返りに喇叭をくれと言ったら、兵隊を罰することはないから、連れて来れば喇叭をくれると言う約束をしたと言うのである。
こちらにしてみれば相手が一方的に解釈した約束を押し付けられたことになるが、行方不明の機関兵が見付かった事を考えると大した怪我の功名でもあった。
恰度被害を受けた直後でもあり、喇叭のスペアをつくるくらいは出来ない事も無かったが、これも酒や煙草・菓子等を沢山与えて納得してもらうことにして落着した。
この事件、責任者の司令や艦長・当直将校は何も身銭を切ることもなく解決したが、ご難にあったのはわれわれ信号科の兵員たちで、当時では不足がちだった手持ちの酒保物品を殆ど差し出すことになってしまった。
カヌーは星明りの海を「ジャパニの旗は」を歌いながら帰っていったが、この土民たち、この後も何回か椰子の実やバナナを届けてくれた。
一方、当の機関兵はどうかと言うとこれが全くの出鱈目でたらめで、以前の面影は全く無く、ボロボロの半ズボンで上半身は素っ裸、垢まるけの毬栗いがぐり頭は茫々で、土民と見分けが付かないほど真っ黒に日焼けしている。
「何処に行っていたのか」と聞くと、「何処に行っていたか自分でも判らないが、甲板で涼んでいたら海に落ちたのでスクリュウ(推進機ぷろぺら)の下を掻いくぐって陸に這い上がった」と言う。
「お前は泳げるのか」と聞けば「泳げない」と言い、言葉付きもしどろもどろで言う事も全くトンチンカン。
真実まことの精神異常か、意識してとぼけているのか見当がつかないが、艦内ではもっぱらスパイ説が支配的だった。
彼はこのあと艦内に2〜3日監禁されて内地に送還されたと聞いたが、その後の処置については知る由もない。

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