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嗚呼海風

サイパンを出港して丸4日、北水道には敵の潜水艦が終結していると言う情報を得て、船団は大回りして南水道から進入する事になり、のろのろ船団もいよいよ水道侵入の体系をつくり始めていた。
誘導役の駆潜艇が先頭の両側に就き、船団単縦列のしんがりに海風がついた。
右前方秋島の彼方に夏島のトロマン山が覗き、左手には水・木・金曜島の島々が大きく見えていた。
付近には2〜30トン位の木造特設哨戒艇が礁外警戒に当たっていた。
当直をおわって信号倉庫のバナナを覗いてみるともう大部黄色くなっている。
艦橋に引き返して旗掛けに腰を下ろし、煙草を燻らせながら釜山で教わったアリランの歌を口ずさんでいると、信号科の松本一水が食事を知らせに来てくれた。
11時22分、松本一水が兵員室についた頃、艦橋で、又々「右雷跡・・・」の叫び声。
まさかこんな所で、と半信半疑で立ち上がって見ると、右真横まよこ100メートルの付近のところから2本の魚雷が5〜60メートルの間隔で向かって来るのがはっきり見える。
艦長は「最大戦速、舵一杯」
を号令したが、微速(5〜7ノット)で航行していた艦の舵は即座には言うことを聞いてくれない。
あっと言う間に「ドッカーン・・・」
旗掛けに力一杯掴まっていた手がもぎ取られそうなショックだった。
食事の艦内号令で回っていた当番兵が舷門付近で10メートル程も上空に吹き飛ばされるのが見えた。
艦は2番発射管付近で折れているらしく後部のマストが前部の方向にひどく傾いている。
隊信号員長が「艦長軍艦旗を降納しますか」と言って喇叭を手に持ったが、そう言っている間にも艦は見る見る沈んで行く、状況を判断した艦長は、
「総員退去」を命令した。
2分も経った頃には重油が一面に浮き出し、海面にはもう泳いでいるものも見えていたが艦長はしきりに「総員退去」を叫び続けていた。
筆者は傾いた階段を転がるようにして上甲板まで降りると、引き込まれるように海中に滑り落ちた。
渦に巻き込まれないように2〜30メートル位泳いだ所で振り返ってみると、海風は艦首を天に向け、60度位の角度で既に艦橋付近まで沈んでいた。
少しでも艦から遠ざかろうと必死で泳いでいる者もいれば、浮流物に掴まったまま「海風・・・海風・・・」とひたすら叫び続けている者もいる。
その間僅かに8分、海風は遂に大きな渦巻きを残して1,000メートルの海底深く消えていった。
時に昭和19年2月1日、午前11時30分、開戦以来、如何なる作戦にも臆すること無く立ち向かってきた不死身の堅艦にしては余りにも呆気ない最後であった。
辺り一面には浮流物がただよい、誰彼の見分けが付かなくなる程重油に塗れた乗組員たちがこれに掴まって手を上げながら声を掛け合っている。
士気を鼓舞するために誰かが号令しているのであろう遠くの方から「軍歌を歌え」と叫ぶ声が聞こえる。
やがて、「海の民なら男なら・・・」の歌声が聞こえてくると、待っていたように、近くの方では、「四面海なる帝国を・・・」の大合唱が始まった。
士気を奮い立たせようと思いながら一緒になって歌っていると、重油で真っ黒に汚れたヤマが手を振りながら泳いできた。

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